波野井露楠の徒然日記 〜ROCK&BOOK〜

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zoom RSS 「英語が壁!?ですが…苦笑」 ハノイ・ロックス/ハノイ・ロックス・ストーリー 〜ラズルに捧ぐ

<<   作成日時 : 2009/03/11 06:33   >>

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記事&動画、追加しました。

 本日提出の通知表の下書きが、たった今、終わりました〜!
 毎日徹夜で嫌になりますが、まずはひと安心。校長、教頭、教務主任のチェックを受け、OKが出れば、次は清書です!!
 3学期も残り僅か!このまま勢いを緩めずに、走りきるぞー(^^)!

 先日のハノイのライヴの興奮が冷めやらない私(笑)。
 今日も、ハノイを聴いて頑張ります!!

 とは、言うものの…この「ハノイ・ロックス・ストーリー 〜ラズルに捧ぐ」は、マイケル・モンローのインタビューが8つも収録されているんですよね…。

 眠気を吹き飛ばすには、ちょっとチョイスを誤ったかな!?(笑)

 しかし、これらのインタビューは、ラズルに関するものも含めて、とっても貴重なものばかり(サウンド的には、オリジナル・アルバム未収録の「シェイクス」が聴けるのが嬉しいですね。今では、本作以外のいくつかの編集盤でも聴けますが)。
 1990年に日本でのみ編集された本作。ハノイ・ファンなら持っておきたい1枚です(偉そうですみません。笑)!

 英語のヒアリングの練習を兼ねて、じっくり聴いてみることにします(笑)。(しかし、このアルバム…。本当に久しぶりに引っ張り出してきました。笑)


 ところで、ブログ「Life is beautiful」の管理人のゆみさんは英語に堪能な方なのですが、英語を始めたきっかけが「ハノイ・ロックスのライヴを本場で見たい!MCを聞き取りたい!」というものだったのだそうで、それで、英語が話せるようになったゆみさんは、ハノイの追っかけをして、なんと!!マイケル・モンローと直接英語で話をするということまで実現させてしまったのだそうです!!(凄い〜!!素晴らしい(>v<)!!)

 やっぱり、英語が出来る人って、いいですよね!
 尊敬してしまいます(>v<)!!
 

 ちなみに…。
 このアルバムの、マイケルのインタビューの内容を一部抜粋すると次の通り。

【インタビュー1】…サム・ヤッファ(ベース)との出会いなどについて
「ある日、バスの中でアンディと話してる時アンディが急に『CHINESE ROCKS』とか『HANOI ROCKS』とか名前を考えついたんだ。で、『HANOI ROCKS』ってのがカッコよかったから、そいつに決めたんだ。」
「その時はストックホルムのベーシストを入れようと思ってたんだけど、アンディがそいつの電話番号をなくしちゃって…。仕方なく当時16歳だったサミー(サム・ヤッファ)をメンバーにしたんだ。」
「初めてサミーに会ったのは…フィンランドの(冬の)寒い日だった。僕はTシャツに皮ジャン、それにスネのところが破れたジーンズをはいていた。彼は僕のことを知らなかったから、『もし、このオカマ野郎が触ってきたらぶん殴ってやる』って思ったらしいよ。後になって教えてくれたよ(笑)。」
「(1stアルバムは)僕とアンディとでプロデュースをしたんだ。自分達のことをMuddy Twinsと呼んでたよ。グリマー・トゥインズ(ミック&キース)をもじってね。」
「ずっと宿無しの状態だったから最初は大変だったけど、そのおかげでハノイ・ロックスのサウンドとアティチュードに切れ味を加えることが出来たと思う。僕とサミーとナスティは宿無しで何とか生き残ってきたから、強くなれたし、それがバンドの重要な部分でもあった。ある意味ではこの頃が一番幸せな時期だったかも知れないな。だって、失うものはなかったからね。」

【インタビュー2】…アルバム・タイトルについて
「イギリスでもプレイしたことがあるフィンランドのプログレ・バンド『ウィグアム』にジム・ペンブローグって素晴らしいソングライターがいて、僕らのために『サイゴン・シェイクス』って曲を書いてくれたんだ。ところが、その曲を僕らが聴く前にハリケーンズっていうバンドのドラマーが聴いて、その曲をプレイしたいって言い出して、プレイしちゃったんだ。
 まあ、それはいいとして、ジムがジョークで『ハノイ・ロックス、バンコク・ショックス、サイゴン・シェイクス、ハノイ・ロックス」って言ってたのを誰かが聴いて、『それってアルバム・タイトルにいいね』ってことになったんだ。アンディだったかな?
 結局それをタイトルにすることになって…。何となく東洋っぽい雰囲気があるだろ。僕は芸者の刺青をしているし、ハノイ・ロックスの文字ロゴも日本語(漢字)っぽいしね。漢字や着物、芸者、色使いが前から好きだったからカッコいいと思ったし、そういうのにひかれてたからね。」

【インタビュー3】…ラズル(ドラムス)との出会いについて
「ラズルとはロンドンで出会ったんだ。僕らのことを聞いてショーを見に来てくれて、すごく気に入ってくれたよ。かつてはローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチもプレイしていたジグザク・クラブに来てくれて、そこのトイレで会ったんだ。『マイク、すごくいいバンドじゃないか。すごくいいよ。最高だ!でも、ドラマーがちょっとな…。俺がハノイ・ロックスのドラマーになるべきだよ』って言うから、『ヘェー、そうかい?すごい神経してるな』って思ったよ(笑)。」
「その後、マーキーのジョニー・サンダースとのギグの後でラズルに会った。ギグの後ラズルが僕の所に来て、『ドラマーはどこだ?』ってきくから、『どこかその辺にいるよ。どこか知らないけどね。』って答えたんだ。そうしたらラズルがこう言うんだ。『奴の足をへし折ってやるぜ!』ってね。『君のバンドはいいバンドだけど、ドラマーが悪いよ。俺がドラマーになるべきだ。』って。『またかよ…どうやってこいつを追っ払おう…』って思ったよ。でも、ラズルはカッコよかったし、スピリットも持ち合わせてた。」
「ラズルがバンドに入ってからは、ある意味で彼がバンドの危機を救ってくれた。ユーモアをもたらしてくれたよ。アンディのタバコに爆竹のようなものを入れて、からかったりとか…。バンドに新しい活気を与えてくれたんだ。そのおかげでバンドはいい方向へと進んで行ったよ。」

【インタビュー4】…極東ツアーについて
「香港の後は日本に来たんだ。日本には約2週間いたよ。6・7回やったのかな?東京、大阪、京都…名古屋もやったのかな?よく覚えていないけど、いろんなところでプレイしたよ。とにかく、最高だった。日本の人々は優しくて、仕事の仕方が規則正しくて、機材も完璧だったよ。日本には男の子のファンも女の子のファンも多くて…。ほとんどが女の子だったけど、ホテルの下で僕らのことを待ってて、僕らの行くところにはたえず追ってきてくれた。信じられなかったよ。嬉しかったけどね。みんながプレゼントをくれたりして、本当に楽しかった。ギグも最高だった。ポジティブな感触があったし、とてもいい経験になったよ。」

【インタビュー5】…ツアーで訪れたインド、アルバム『ミステリー・シティ』について
「インドが一番ワイルドな国だったな。母親が子供の足をわざと折ったり、舌を切ってしまうんだ。というのも、母親は自分の子供が一生物貰いをすることがわかっているからなんだ。今でもそうだと思うよ。自分達はそういう運命なんだと信じてるみたいなんだ。こうやって物貰いをしてるんだけど、その光景はショッキングだったよ。」
「『ミステリー・シティ』は元モット・ザ・フープルのオヴァレント・ワッツ、ディル・グリフィン、ピート・バフィンのプロデュースによるものなんだ。モーガン・フィッシャーは元々モット・ザ・フープルでキーボードをプレイしていたんで、彼にピアノをプレイしてもらったんだ。」

【インタビュー6】…アルバム『トゥ・ステップス・フロム・ザ・ムーヴ』の頃について
「(レコーディング後)それから夏にイギリスに戻り、30日間に及ぶツアーをして、84年には二度目の来日公演を果たしたんだ。すごく良かったよ。バンドもやっとビッグになってきたし、世界中のチャンスを手にしたような気がしたよ。」

【インタビュー7】…ラズルの死について
「(アメリカ・ツアー中に足を骨折っしてしまって)とうとうギプスをはめられたよ。車イスに乗ったままのギグなんてやりたくなかった。皆んなどういう訳か、一週間もあれば治るものだと思ってたらしく、マネージメントはLAにプレスの仕事を手配してた。LAにはハノイ・ロックス・ファンがたくさんいるって聞いたからなんだ。
 LAに着いた次の日にある事故が起きて、ラズルが死んでしまったんだ。家族がバラバラになってしまった…。
 信じられなかったよ。世の中がバラバラになったようだった。とにかく驚いて…どうしていいのかわからなかった。
 ラズルはバンドでも極めて重要な役割を果たしていた。他のメンバーもそうだったけど、彼なしではハノイ・ロックスをやっていけなかった。自分の本当の兄弟が死んでしまい、それが原因で家族がバラバラになってしまうのと同じことだったんだ。ラズルの死から回復するまでには、随分と長い時間がかかった。果たして今でも、完全に彼の死から回復しているかどうかわからないけどね。」

【インタビュー8】…ハノイ・ロックスについて
「ハノイ・ロックスは特別なバンドだった。5人家族だったんだ。誰もが重要で、1人でも死んだり抜けたりしたら、もう同じことはやれないんだ。特別なバンドだっただけに今こうして認められるようになって嬉しいよ。」
「とにかく、当時はハノイ・ロックスをどう分類していいかわからなかったし、取り扱いに困ってた。僕らは僕らしくやっていたよ。自然にね。最高のバンドだったと思う。」
「僕らに影響を受けたバンドも多いようだけど、それはすごく嬉しいよ。ただ、バンドのアティチュードよりもビジュアル面だけに影響を受けたバンドがほとんどなのが残念だけどね。」
「どのギグも楽しかった。自発的で、何が起こってもおかしくない…そんな感じだった。そういうバンドってのは少なくなったよね。最近のバンドってのはやけに計算されているから。そういう意味でも、新鮮なバンドだったと思うよ。」



(ラズルの死に関する詳細について)※以下、HP「HANOI ROCKS FAN SITE/HANOI GUYS」より

 ハノイロックス初の全米クラブサーキット。東海岸からツアーは始まる。「信じられない位に最高の出来だった.悪かったショーなんて一回も思い出せない。」(ナスティ)
「どのショーもホント最高だった。まるで経験したことが無いくらいいい出来だった...俺達は燃えていた。幸福の絶頂だった。」(アンディ)
 シラキュースでのライブ中、マイクがドラムライザーからジャンプ、ちょうどそこへ歩いてきたアンディと衝突、マイクは足首をひねり骨折。その後、負傷した足 をかばい痛みをこらえながら、いつもと変わらぬアクションで各地(トロント、シカゴ、クリーブランド、デトロイト)でライブを行う。
 しかし、マイクのケガの症状は悪化、 アトランタでドクターストップがかかり、予定されていた以降のライブはキャンセルされた。
 それならば、その分はプロモーションやインタビューにあてようと、マネージメントがLAに取材をブッキング。アメリカではアルバム『Two Speps From The Move 』のセールスやMTVでいいリアクションを得ていた。
 ロンドンの親友レイに宛てられたラズルからの絵ハガキ。
 「12月3日 New York こっちは楽しんでるよ。地獄の寒さNY。でも来週はカリフォルニアの太陽! ラズルより」
 (レイはケラング紙 Pandoraのマンガを描いている、元Marionetteのメンバー。ハノイ加入以前からの親友で、ラズルが惚れ込んだあのハノイのギグを見に一緒に連れだった仲。)
 12月7日 彼らはLAに降り立った。
 そして、翌日。この年の夏、ドニングトン・フェスティバル(UK)出演したモトリー・クルーと意気等合していたハノイのメンバー達は、トミー・リー宅に招かれた。ケガをしているマイクを除いて2つのバンドが集まりパーティは盛り上がっていた。
 ヴィンスとラズルは買出しのためスポーツカーで出かけて行った。ロサンゼルス、レドンド・ビーチ、ヴィンスの乱暴な飲酒運転はコントロールを失い車は反対車線へ、対向車と正面衝突。巻き添えになった他1台の同乗者は麻痺状態、助手席に乗っていたラズルともう1台の車の運転手は最悪の結果に...。事故後、泡だらけのビール瓶を手に車の脇に立っていたヴィンスが「全然 大丈夫(everything's OK)」と言ったのが目撃されている。

 1984年12月8日 土曜日。この6日前の12月2日、シカゴのステージがラズルの誕生日で、オーディエンスがハッピーバースディを歌い、ラズルが24歳になったことを皆で祝った。LAのカークラッシュが彼から彼の全てを奪い取った。そして、彼を愛する全ての者達から大好きなラズルを奪っていった。
 当然ながら予定されていたハノイロックスの以後のスケジュールは、全てキャンセル。数日後ロンドンへ戻り、ラズルの実家ワイト島で葬儀はしめやかに行われた。墓石にはイギリス時間により12月9日と刻まれている。
  「ラズルはずっとLAに行きたがっていた。LAは世界で一番素晴らしい所だって思っていたんだ。その夢も叶い、死の直前まで楽しい時間を過ごせたんだから...」(ハノイロックス・スポークスマン)


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 眠気覚ましのつもりが、とてもヘヴィーなチョイスになってしまいました(汗)。(曲は、どれも名曲で、ごきげんですが…。)

  

「アイ・ウォント・ユー」ライヴ(1981年) ドラムはラズルではなく、初代ドラマーのジップ・カジノです。 


「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」PV ラズルが元気だった頃。逆に涙を誘います…。


「マリブ・ビーチの誘惑」ラズルの追悼ライヴ メンバーは涙を隠して演奏しています…。


<ROCK>
ハノイ・ロックス/ハノイ・ロックス・ストーリー 〜ラズルに捧ぐ (1990)
1. アイ・ウォント・ユー
2. インタビュー1
3. 白夜のトラジディ
4. インタビュー2
5. オリエンタル・ビート
6. インタビュー3
7. 炎のドライヴィン
8. インタビュー4
9. タクシー・ドライヴァー
10. インタビュー5
11. マリブ・ビーチの誘惑
12. インタビュー6
13. アップ・アラウンド・ザ・ベンド
14. シェイクス
15. インタビュー7
16. ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス
17. インタビュー8
18. ドント・ユー・エヴァー・リーヴ・ミー
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ロッドのコンサート、良かったですよ!近くアップしますけど、私より背が低いのに驚きました。
fighter-k
2009/03/13 14:52
fighter-kさん!
こんばんは!!
fighter-kさんの記事、拝見しました。
最高のライヴだったようで、さすがロッドですね!
ハノイのライヴもよかったですが、ロッドも行けたらよかったなあ…と、思わずにはいられません(^^;)。
波野井露楠
2009/03/17 20:42

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